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高麗神社と巾着田


高麗神社境内
高麗神社境内
 9月の連休に高麗神社と巾着田公園に行ってきました。 高麗神社周辺では高麗郡建国1300年を記念して色んな行事が行われていました。 この高麗神社は今フジテレビで放映している「朱蒙」という韓国のテレビドラマとも関係があります。 「朱蒙」は高句麗の建国の祖であるチュモンの物語です。 高麗神社はその末裔と言われている高句麗の王-若光を祀る神社です。 古代の日本では高句麗を高麗(コマ)と呼んでいました。 ですから正確にはコマ神社と言うよりコウクリ神社です。 高句麗は紀元前1世紀に「朱蒙」によって建国され、最盛期の広開土王、長寿王の時代には中国東北部、朝鮮の北部の大部分を占める強大な国家になりました。 中国の吉林省集安県にある広開土王碑からはその頃の高句麗の強勢ぶりをうかがうことができます。
 今年9月から韓国で放映しているペ・ヨンジュン主演の太王四神記は最盛期の広開土王の物語です。 そんな強大な高句麗も668年に唐と新羅の連合軍によって滅ぼされ、多くの高句麗人が難を逃れ日本に亡命しました。 若光は716年に武蔵国内に新設された高麗郡の首長として就任し、関東各地に散在して暮らしていた高句麗の難民1799名の人たちを高麗郷に集め、当時未開だったこの地を開拓しました。 若光が当地で没した後に高句麗の民はその徳を偲び、その御霊を「高麗明神」として祀りました。 これが高麗神社創建の経緯です。 高麗神社は、若光の子孫が代々宮司を務め、裏手には高麗氏の自宅もあります。 神社の裏には1596年に建築されたという高麗家住宅や、近くの聖天院には若光のお墓があります。  聖天院の
高麗山聖天院

高麗家住宅
高麗家住宅としだれ桜

 高麗郡は明治29年入間郡に併合されますが、この神社はその後も広く崇敬を受けています。 未開の地から一国を切り開いたということで「出世明神」と崇められています。  古来の息吹が漂う高麗神社、聖天院を後にし、巾着田に行きました。  ここは高麗川の蛇行により長い年月をかけてつくられ、その川の形がちょうど巾着の形に似ていることから、巾着田(きんちゃくだ)と呼ばれるようになったそうです。 直径約500メートル、面積約17ヘクタールの川に囲まれた平地は昔は水田でした。 今では菜の花、コスモスなどの花々が咲き、中でも秋の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の群生地は辺り一面が真紅に染まり、まるで赤い絨毯を敷き詰めたようです。 毎年多くの人がその美しさに惹かれて訪れます。 詳しくはホームページを参照ください。
巾着田HP  http://www.kinchakuda.com/

高麗王若光の廟
高麗王廟
巾着田曼珠沙華公園
巾着田曼珠沙華公園
 
2007.09.28配信
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