私は仕事上東京都内の地図を見ますが、中央線は東中野から立川までの区間はほとんど西に一直線に延びています。 なぜなのか調べてみたら新宿から八王子間に鉄道を引くときの反対運動の結果そのようになったとのこと。
江戸時代の終わり頃から八王子を中心として多摩地域は織物業が発達、これに伴い甲州街道を利用した陸上輸送は色々と不便が生じてきます。 そこで当初は物資の輸送を玉川上水の水路を利用した方法で、東京に運ぼうと計画します。 玉川上水を利用し船で物資を運ぶ計画は許可されますが、結局2年で禁止されてしまいます。 その理由は船を通すことによって東京に供給する上水の水が汚れるという理由からでした。 これが中央線が敷かれる一つのきっかけになったと言われています。
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