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黄金色に輝く尾瀬に登山

爽秋の尾瀬ヶ原の朝
爽秋の尾瀬ヶ原の朝
  日帰りで尾瀬に登山です。  早朝4時に自宅を出発、上越自動車道 沼田ICからは一般道で、鳩待峠の駐車場に7時前に到着、さあ登山開始です。 早朝の尾瀬ヶ原は黄金色に輝きながら迎えてくれました。 肌を差す寒さに耐えながら、太陽の陽射しを待つ白い木々達、朝陽を浴びて溶け出す霜、 湿原に浮かぶ鏡のような池糖が背景の山々や木々を水面に映します。 黄金色に輝く湿原と雲一つ無い空、雄大に横たわる至仏山、燧ヶ岳の景色は、しばし時の経つのも忘れるほど 幻想的な世界でした。 尾瀬は福島県・新潟県・群馬県の 3県にまたがる日本を代表する湿原です。 ここは 国立公園特別保護地域に指定され、登山道以外への立ち入りが厳しく制限されています。
  尾瀬はシーズン中のマイカー制限、ごみの持ち帰り運動、バイオトイレの設置など、日本の自然環境保護運動の先駆的役割を果たした場所でもあります。  そのような「尾瀬」ですが実はここは東京電力の私有地がほとんどです。 東京電力は尾瀬の群馬県側の全て、尾瀬の全体の 約70%の土地を所有しています。 また尾瀬に連なる戸倉山林も所有しており、これらの面積をあわせると山手線の内側の約3倍に相当する広さを所有しています。 明治から大正にかけて電気の需要が急速に高まるにつれ、当時発電の中心であった水力発電所の建設を進めることを目的に、当時の電力会社が尾瀬の豊富な水を発電に生かそうと、土地と水利権を取得、 1951年に東京電力に引き継がれます。  東京電力設立時の記録によると、水力発電と火力発電の比は8:2で、いかに当時日本の電力が水力発電に頼っていたかが判ります。 しかしこの頃から尾瀬の自然保護運動が起こり、1956年に尾瀬地域が特別天然記念物に指定された時点で、事実上発電所計画は不可能になりました。  1966年まで東電はこの地に発電所建設計画を持っていましたが、発電所建設を正式に断念するのは、1996年になってからです。 ただし今でも尾瀬地域の群馬県側は全てが東電の所有地なので、土地所有者である東電は木道の建設や浄化槽式トイレの建設、湿原の復元など、環境省や各自治体と一緒になって尾瀬を守る活動を続けています。
尾瀬ヶ原の池糖
尾瀬ヶ原の池糖

尾瀬ヶ原から燧ケ岳方面
尾瀬ヶ原から燧ケ岳方面
東電が作った木道、焼印がある
東電が作った木道、焼印がある

作業後の完成した木道
作業後の完成した木道

 尾瀬に最初の木道が設置されたのは1950年代と言われています。 当初は、登山者を湿原のぬかるみから守るためのものであったそうですが、多くの登山者が来て、踏み荒らされたことを契機に1966年から尾瀬のほぼ全領域で複線の木道が整備されるようになり、今は木道以外の場所は 歩けないようになりました。 現在の木道は湿原を登山者の踏みつけから守るものへと変化しています。  複線部分の木道は右側通行です。 かつて木道は尾瀬周辺の林で伐採した木材が利用されていましたが、今では木材をヘリコプターなどで搬入しています。 尾瀬の木道の各所で木道の入れ替え工事が行われていました。 今では群馬県域は群馬県と東京電力によって、新潟県域は東京電力によって行われています。
 木道の表面には設置年を示す焼印が押されています。 焼印は平成19年に群馬県が設置のものは「群H19」、福島県設置のものは「福H19」、東京電力設置のものは「東電のマークH19」と記されており、歩行しながらでも設置者と設置年が明らかになっていて、経過年数を知ることができます。 でも木道も10年も持たないで腐ってくるのでしょうか。 私が行った時には盛んに木道の張替え工事が行われていました。 本当に心から「ご苦労様です」と頭の下がる想いと、尾瀬の自然保護のために、多くの人たちが費やしている努力なども垣間見ながらの登山でした。


期日 2007年10月24日(水) 行程  自宅4:00発→鳩待峠6:40着 鳩待峠6:50発→山の鼻7:40→牛首分岐8:30→竜宮小屋9:15→尾瀬小屋9:45→元湯山荘10:30→平滑ノ滝11:10→元湯山荘11:40(昼食休憩)12:05発→尾瀬小屋12:20→竜宮小屋12:38→牛首分岐13:12→山ノ鼻13:32→鳩待峠14:20着

 
2007.10.26配信
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