こぶしの花満開 (2007.3.21撮影)
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その後米軍は滑走路が短くジェット機の離発着ができない立川飛行場の延長を画策。基地北側の砂川町に滑走路を拡張しようとしますが、これに反対する地元地権者と激突。有名な砂川事件に発展します。
拡張に失敗した米軍は、代替案として立川飛行場の付属飛行場であった多摩飛行場 (現横田基地)に滑走路を1,300mから3,350mに延長し、兵員施設を整えた拡張計画を実施、1969年移駐を開始、立川飛行場は事実上閉鎖します。
1977年に日本政府に返還後、東側は陸上自衛隊駐屯地のほか海上保安庁・警視庁・東京消防庁など各官公庁の施設と防災基地などを建設、立川市役所の移転も決まり現在に至ります。
このように現在立川基地跡地は都民の憩いの場としての役割を果たしていますが、過去の激動した戦争歴史の上に今日があり、今日の幸せを感謝することを忘れてはならないと思いました。
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